イマ見たいもの
近所のお店に歩いて行ったんだけどね(歩いて5分もかからない)。
その途中いきなり、ああ、イマ見せたいものを見せられてるんだって納得がきたの。
この辺り、言葉になるとニュアンスがちょっと違うなとも思うんだけど、必要なものを見せられてるでもいいし、見たいものを見ているでもいいような気もするかな。
肌で感じる感覚とか、匂いとか、そのとき来た思考とか、そういう来た感覚なんかを全部ひっくるめての「見る」ね。
だから、自動思考に乗っかった無意識状態だとイマ見せられてるものが感じられないから勿体無いのかも?って思いつつ。
そのままてくてく歩いていったよ。
この感覚もそのうち忘れてしまうから書いとく。
忘れるといっても、この納得が来たって経験はとりゆきを構成する一部になってるんだよね。もうコミコミでとりゆきっていう世界になってるから、忘れても大丈夫。
あくまでとりゆきの感覚ね。
受け取る時期
最近、人の話を聞いたことでそういえばと思った変化を書くよ。
三脳研で、疑問とか、重要そうな感情とかが出たときなんだけどね。
例えば室長さんとかに質問しても、どんなものも、すぐにお腹へ投げてって返されるのね。
【以前】
変容に関する疑問なんかだったらまだ分かるんだけど、例えば、世間的にいってもそれは大変だね、と優しい言葉をかけられるべき状況を嘆く感情とか悩みとか。
そんなのも、それは左脳さんが言ってることだから、でパシッと切り捨てられることに納得がいかなかった。
左脳さんが可哀そう、とすら思ってたよ。
【今】
あー、うん、左脳さんが言ってることだよね。
じゃ、気づいたし体の方へ。終わり。
こう書くと感情がない無機質な感じだけど、実際はむしろ以前より感情とかに敏感になってるって思う。
納得を求めているのは左脳さん。答えを得たいのも左脳さん。
例えば可哀そうな状況に陥って、そんな自分に対するストーリーを作り出すのも左脳さん。
左脳さんは考えて考えて考えたいし、「自分」を強化することに対して浸りたいんだよね。考えることが気持ちいいし、アイデンティティを確立したいから。
でも、左脳さんが考えて出した答えって、すぐにぐらついちゃう。
こうしよう、と決心した次の瞬間から真逆の可能性で迷っちゃったりするし。
で、またずるずる考えちゃう。
一方の体の方は、もわもわ~、ぐぐ~、作り出しているイマの感覚を伝えてくるだけ。
まあ、強く感情をゆさぶられる出来事があると、やっぱり左脳さんが強くなっちゃうんだけどね。
とりゆきはもう、左脳さんの方に誘われるがまま引っ張られて、泥沼に引きずり込まれるのではなく、体を感じていたいって風になっちゃったから。
このことが腑に落ちるまではある程度の時間、思考が出る→体に戻る、を繰り返しいく必要があるよ(短時間で腑に落ちる人もいるかもだけど、あくまでとりゆきの場合ね)。
そして、腑落ちしてないと、初期の頃のとりゆきの様に言われても分からないから。
同じ情報を与えられても、受け取れる時期があるんだなーって思った。
腑に落ちるって書いてるけど、そう在りたいと望む方へ行ってるだけなのかもね。
内観
TOLANDVLOGさんの古史古伝のエンタメ考察、すっごく面白くてよく見てるよ。
今朝、ホツマツタエのシリーズで出てきた「ハタレ」という存在。
ハタレとは、人の妬みとか恨みとか、そういった感情が凝り固まってねじり曲がっちゃった存在なんだって。
そのハタレたちが攻めてきて、国を揺るがすってすっごいエピソードだった。
印象的だったのは、ハタレたちも苦しんでいるというところ。
身の内に抱える負の感情に苛まれて、どうにも処理できなくて、暴走してしまった。
個としての苦しみしか意識できなくて、全体との調和から外れてしまっている。
なんとなく、現代に当てはめてもよく分かるメカニズム。
エピソードの中では、神々がハタレを救うためにまず鏡(八咫鏡だったっけ?)にハタレの姿を写す。
自身の醜い(とされる)姿をしっかり認識させる。
それから、海で何日も禊をさせる。
で、再び鏡に姿を写すと、人間の姿、つまり清められた正しいとされる姿になっている。
この部分を見て、うわーってなったんだよね。
まるっきり同じだーって。
流れてくる自動思考、思考を見る。ありのままを見る。否定も肯定もせず、ただ見る。
そして、体の感覚や感情を感じて、感じて、感じる。
その繰り返し。
神道でいう祓い清めってこういう解釈もあるんだ、ってなんとなく思ったよー。
あと、神々が悪(とされる存在)を討伐して終わりじゃなくて、なんとか救おうとする姿が随所に出てくるんだけどね。
それも、単純な善と悪ではなくて、個々の世界、宇宙にある矛盾した思考や感情。その扱い方を示唆してるんじゃないかってこれもなんとなく思った。
単純に、赦し、慈悲の精神に触れるっていう意味でもほわっとなるよね。
善も悪もきっぱり分かれてるんじゃなくて、グラデーションでそっちへ行ったり来たりしてる。個人的なものではなくて、周囲との関わり次第でカタチを変えていく、という感じー。
やっぱり、体の感覚を感じるのが最強!
夢中
朝、お仕事へいく前の30分で色々な用事をダーッと片づけるんだけど。
やることギュギュッと詰め込んでるのね。毎朝のルーティン。
とにかく朝のノルマを終わらせることに終始してる。
でね、お出かけする時間になって、外へ出た途端に思い出すの。
気づいてなーい って。
ノルマ達成の行為に没頭してる。別に余計な自動思考がきてるわけじゃないんだけど、一体化しちゃってるんだよね。
外の空気に触れた途端思い出すんだよねー。
その30分の中でも胸やお腹の感覚に意識を置こうとする動きはやってるみたいなんだけどね。これは感覚クセづけの賜物。
でも気づきがないの。
今朝、玄関から出たら雨上がりの空気が冷たくて、湿っていて、空がすごく青かったよ。
いいぞもっとやれー!
左脳さんのふてくされた感じが続いてる。
ふてくされたといっても、悪くない意味でね。
もうとにかく胸とかお腹とか、体を感じてればいーや。
イマ、イマ、イマに居ようって感じ。
もうこっちは知らないってなってる。
うんうん、いいよいいよ左脳さん。その調子。
感覚お試し
読書読書。
ヘルメス・J・シャンブ 著
「それ は在る」
を読んだよ。
その中の文章にね、内にあるなんでも流れてくるスペースを感じて、それを外側の世界でも感じるようにする、というのがあったの。
うん、やってみたい。やってみよう。人体実験だね。
ということで。
とりゆきはいつも胸やお腹なんかの感覚を意識するようにしてる。
その感覚が流れてくる場の方を意識する、と定義して。
本で探究者がやっていたように、まずは目をつむって場の方を意識する。(できてるつもり)
感じた(と思った)ら、目を開けて入ってくる全ての感覚に意識を広げる、気づくようにする。(できてるつもり)
ちょっと面白い感覚だったよ。
内のスペースに世界の全てが入っていて、それが外側の世界に広がっていく感じがする。(ような気がするっていうね。)
もちろんずっと維持することはできなくて、意識がそれたら戻して、をその日は繰り返してたの。感覚が面白かったからね。
そしたらねー。
左脳さんが顔を出してきちゃったの。
普段と違うことをするのって、やっぱり考えちゃうし左脳さんも活発化してきちゃうんだろうね。出番だって。左脳さんは変化がイヤみたいだしね。
なんか不安とかそんな感じの思考のタネがね、きちゃったんだよね。
そうするとまあ、自動思考とかも増えてきちゃう。
多分、このワークみたいなのを何カ月かやり続けてたら慣れてきてまた違う、いい感じになるんだろうなーとも思うんだけど。
うん、無理はしない。
それに、自動思考を投げてきている左脳さん自身も疲れちゃってたからね。
自動思考がくると、それ自体がストレスになるって所長も言ってたけどそんな感じ。こうなる以前はそれが当たり前だったのにね。今の状態にすっかり慣れてきて、過敏になってきているっぽいよね。
左脳さんがすっかり疲れてきちゃって、もうお手上げーって感じになっちゃってたの。
でね、お腹さんに任せようってふっと浮かんできたよ。
ぜーんぶお腹さんにゆだねようって。
呼吸を吐くのに合わせて、ずどーん、ずどーん、ってぜーんぶお腹さんに預ける感じになった。お腹の底に身を任せる、背中を押し付ける感じ。
ごめん、わかりにくいよね。
そしたらねー、なんとびっくり。
めっっちゃくちゃな安心感。じわーって広がっていったの。
ぜーんぶお任せ。
思考のタネも、やってくる自動思考もいい感じにお腹さんの感覚がまぜまぜしてくれる。「私」は身をゆだねるだけーって感じ。
その日は夕焼けがすっごく綺麗でね、とにかく何もかもがピッタリはまっているようだった。
あの、スペースが外側へ広がって、内も外も区別がないような感覚。
あれは面白かったから、ちょっとずつ試すようにしてるよ。
普段は胸にいて、お腹さんに全てをゆだねて、を意識するようにして。
ゆだねるのを意識するようにするっていうのも変な話だけどね。
でもそうすると、体が勝手に動いている感覚になるんだよ。
というか、体も含めて世界がそうであるように進行していくって感じがする。
そんなのをベースにして、無理のないように試していくようにするよ。
せっかくだから楽しみたいよね。
それじゃ、最後までお付き合いありがとう。